□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2011年2月17日 NO.848号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆より。
素晴らしい寄稿だったので、そのまま掲載する。
井上政典 【皇室と沖縄、惠隆之介先生の講演から】
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2月11日の建国記念の日、日本会議福岡主催の式典に参加し、惠先生の講演を聞き、新たなる感動を受けましたので、ご報告したいと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、惠隆之介氏は、沖縄県出身で防衛大学から海上自衛官に任官され、退官後拓殖大学の客員教授や本の執筆をされています。「海の武士道」という駆逐艦雷(いかづち)の工藤艦長の物語を書かれた人です。
沖縄出身の方だからこそ言える皇室と沖縄との関係についてお話いただきました。
戦後の自虐史観の中で、沖縄関連の情報はたいへん少なく、沖縄を日本は決して見捨ててないと以前にも書いたように日本軍と沖縄県民と日本政府が一体となって沖縄戦を戦ったと書きましたが、それ以前の琉球王国の日本編入のところになるとあまりよく知らないのが現状でした。
惠先生は、防大の卒業論文が沖縄の遺伝子異常の疾病の研究だったそうで、琉球王国の遺伝子異常の発生率は、極めて高くその原因を調査研究されたそうです。
そこから分かった事実は、左翼が喧伝している琉球王国は平和で暮らしていたのに日本が無理やり編入し、王国を滅ぼしたところから、沖縄の不幸が始まるという史観がNHKやその他のマスメディアでまことしやかに報道されていることとまったく違うという事でした。
琉球王国時代、農民は一定の年限が来ると耕作地を変えられました。つまり土地の所有権はなく、王朝の小作のような状態でした。そのため、収穫率を上げる工夫をしても、次の土地に移動させられるため、自分たちのために何もならないために、生産拡大意欲がありません。
さらに、村と村との交流も禁止されていたために、村内での結婚しかできず、長い間に血が濃くなり、近親相姦的なもののために、遺伝子異常の疾病の発生率が高くなったという事でした。
琉球本島でもそういう過酷な身分制度があったのですが、離島になると更に多くの差別があり、本島の三倍の年貢を取り立てられていました。
農民は文字を書けず、貴族階級など一部の人間だけが安穏とした生活を送っていました。それを聞きながらまるで李氏朝鮮のようだと思わざるを得ませんでした。
琉球王朝は、農民から搾取し、そのお金で貢物を買い、それを大陸に収めていました。そしてその10倍のお金をもらって財政を成り立たせていたのです。
それを打破したのが明治維新後の日本であり、文字通り開放したのです。そしてその開放された沖縄県民の事を一番心配されたのが皇室であり、他の県知事が県名と名前だけの紹介に止められた時、沖縄県令だけは明治天皇からこまごまと沖縄の内情の事をご下問され、一躍日本国内の関心が沖縄に集まり、開発計画が進んだといいます。
昭和天皇も、皇太子時代の欧州外遊の際に、沖縄出身の漢那憲和(かんなけんわ)艦長のお召し艦香取を沖縄へ寄港させ、沖縄県民に沖縄出身の艦長の晴れ姿を見せ、県民に大いなる希望と感動を与えられたそうです。このときから沖縄空手が本土に紹介され、広まるきっかけとなったそうです。
さらに、その艦隊は英国領だったスリランカにも立ち寄りました。それを母親に連れられて見にきていたジャワルネデ少年は、母親が指差しながら言った『黄色人種でもこのようにやれるもんだよ』という言葉を胸にいだき続け、反英独立運動に身を投じ、ついに大統領にまでなりました。
このようなことを書かれた「昭和天皇の艦長」という本は、昭和60年に発刊されて今では廃刊になっていたのですが、阿川弘之氏の突然の書評で脚光を浴び、また再刊されました。それは、昭和天皇が崩御された時に枕もとに置いてあった本だということが分かったからです。
それほど、皇室は沖縄を愛し、気にかけてこられました。そのご恩に応えようとして戦前の沖縄県民は軍官民一体となってアメリカ軍の攻撃から少しでも本土を守ろうと戦い死んでいかれたのです。
その事実を沖縄出身である惠先生がとつとつと語ってくれました。こういうことを他県の出身者が言うと左翼の攻撃に晒されるのでしょうが、先生は沖縄の事実を私たちに臆するところなく語ってくれました。
明治天皇は、明治38年に起こった大干ばつで被害を蒙った沖縄県民のことをお気遣いになり、侍従を派遣してその実情をお聞きになり、涵養林としてその一体に樟を植樹されました。その際にその後恩に報いるべく沖縄県民が建てた「植樟之碑」が残っています。これは皮肉にも嘉手納米軍基地の中にあるために、戦後の左翼運動家の手が届かず、戦前の遺跡として唯一残ったものだそうです。
医学学校も皇室の下賜金で立てられ、172名の医者を輩出しました。
このように私の知らなかった皇室と沖縄の関係をお話いただきました。たぶんこの話は今の沖縄県民も多くの方が知らないと思います。
意図的に隠された歴史を知る事が沖縄の未来や日本の明日を切り開く鍵となると思っております。