□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2010年4月4日 NO.544号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆
◎武田 邦彦 第五章予防原則を間違う指導者【ダイオキシンと予防原則】より
そのまま掲載します。
ダイオキシン問題について、詳しく書かれている。
あれだけ騒ぎ立てたマスコミは、最近一切報道しない。
なんなんんでしょうなぁー。
武田先生は、たまにエキセントリックなコメントもあるが、
今回のコメントを大変勉強になった。
ぜひご覧あれ。
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先日、いわゆる「予防原則」が誕生したもとになった経験と概念を整理したが、このことが認識されていなかったことによって日本が大きな損害を受けた例を、ダイオキシン事件を例にとって説明を加えたい。
まず最初に少し難しい医学的表現になるが、2001年に明らかになった「ダイオキシンに関する医学的見解」を示しておきたい。これは東大医学部の教授の文章からとったものである。
「ダイオキシン類は1072年に動物の胸腺萎縮についての研究が最初で、その後、曝露量との関係でT細胞系免疫毒性、微生物感染抵抗性などを中心とした膨大な動物実験が行なわれている。ヒトでは13万人の15―50年にわたるダイオキシン高濃度曝露群(一般人の10倍から10,000倍)の追跡調査が行なわれ、急性毒性、慢性毒性、発ガン性、生殖毒性、神経発達毒性について詳細なデータが出てきた。
全体を見渡すと、モルモットの急性毒性では青酸塩の6万倍の毒性を示すが、ヒトでは高濃度長期間曝露者で塩素座そう以外の急性毒性は認められていない。また発ガン性に関するヒト疫学では100―1000倍の曝露20年以上で一日煙草1本程度(リスク1.4倍)が見られる。」
つまり、急性毒性、発がん性についてほとんど毒物とは言えないという結論である。さらに最近までの研究状態を見ると、ダイオキシンは奇形児などの発生も見られず、毒性の発現にはなお研究をようするものの、社会的に規制するようなものではないことが明らかになった。
それでは、あのダイオキシン騒ぎ、家庭用焼却炉の撤去、焼却禁止、たき火禁止などは何だったのだろうか?
ダイオキシンの規制はリオデジャネイロの環境サミット原則15の日本での初めての適用例だった。つまり、前回に詳述したように、ダイオキシンの毒性は科学的に明らかでは無かったので、予防原則を適応した。なにしろ日本に一人の患者もいないのに規制するというのは異常であり、ダイオキシン報道が盛んだった1996年にはまだ「マスコミが作り上げた幻想」の域を脱していなかったのである。
ところで、ダイオキシン報道が過熱した1996年の次の年、奇妙なことが二つ起こっている。一つは、新聞記者が当時の毒物の第一人者だった東大医学部の和田教授の下に訪れてダイオキシンの毒性について取材をした。その時に和田教授は「毒性に関するデータは出ていないので、コメント出来ない」と言ったら、その記者は「それではさようなら」と言って帰ったと言う。当時の日本人にとっては、和田教授よりニュースステーションの人気キャスターの方が毒性をよく理解していると考えていたのである。
また同じ年の6月26日、155人の女性弁護士が集まって「だいおきしん・環境ホルモン対策国民会議」を結成した。後に私はこの会議の代表格の人にお会いすることになるのだが、毒物学は愚か、人体や生体の機能などもほとんどご存じなく、単に宗教的な見地から集結したことを知った。
私から見ると、日本人の誠の欠片もないこのような言動は、それがニュースステーションのキャスターであったり、女性弁護士会155人だったりしたことによって、日本社会には大きな影響を与え、それから13年になってもまだ、「ダイオキシン規制は予防原則だった」という基本も理解されていない。
ダイオキシンはすでに「買い物からお母さんが帰ってきた」という状態、つまり科学的因果関係がわかって猛毒ではなく、規制対象でも無いことが明らかになったのだから、予防原則を外し、ダイオキシンに関する規制を全廃しなければならないのである。
すでにヨーロッパでは予防原則の乱用を戒め、規制の対象となったハロゲン系化合物の多くが無罪放免になっている。
最後に私が3年前に「ダイオキシンは猛毒ではない」と言う内容を発表したとき、ダイオキシン反対の団体から厳しい批判を浴びた。その一つに「今、4ピコの規制を2ピコにしようとしているのになんだ!」というものだった。そこで私が「4ピコという規制値に科学的根拠があるのですか?」と聞いたところ、「そんなことは関係ない。今、運動が盛り上がっていたところだ!」という返事にビックリした話を紹介したい。
彼等にとっては日本国も、日本人の健康もまったく視野に入っていない。ただ、自分たちの権力だけが大切なのだ。
(中部大学教授 工学博士)